文字(もんじ)の歴史を紹介するページです。
- ・文字の歴史に欠かせない「茂庭綱元」公。
・洞泉院と愛宕神社の開基。
・文字(もんじ)の昔の風景写真
茂庭綱元公は文字の歴史を作った!
戦国時代、「伊達藩」の奉行職で重臣。
豊臣秀吉公と、碁の勝負で勝った逸話など、痛快な方。
元の名前は
- 「鬼庭綱元」
「鬼が庭にいては、縁起が悪かろう!」
と言って、豊臣秀吉公から拝領した
「茂庭」
という姓。
こちらで詳しく。
墓の写真や、位置やアクセス情報も解説しました。
洞泉院は茂庭綱元公が創建!
「洞泉院」
は、文字のお寺さんです。
とてもなじみが深いので、和尚さんも気さくで、地域になじんでいる、とても良い人柄の方です。
地域のよりどころでもあります。
開基など、情報は詳しく、こちらで紹介しました。
(現在工事中)
茂庭綱元公の文字の功績など専門家の眼での記事になります。
愛宕神社は文字の中心!
「文字」
に住んでいれば、ほとんどの方は「氏子」です。
元朝参りや、一年の祈祷のお札など。
いつもお世話になっています。
こちらで、写真付きで
「文字(もんじ)愛宕神社」
を紹介しました。
こちら追加しました。
愛宕神社の歴史です。
文字(もんじ)の昔の写真!地域の文化の歴史!
文字の昔の農作業や、文化を表している写真風です。
昔の着ているものなど、生活の一端が見えて「灌漑深い」ものがあります。
とても、感じるものがあります。
他にも、現在収集しています。
集まり次第、追記で公開いたします。
文字の地名の命名はいつだれがどのような形で?地名の由来
「栗駒町史」
という本があります。
管理人の、私の家にあるのですが、文字の方なら、結構な方が蔵書していると思います。
その中から抜粋して、文字の地名の由来を紹介しました。
なるほどと思うのですが、もう少しなんかないかな~~とも思ったのですが、なぜ
「文字」(もんじ)
なのかが判然としないので、少し不完全燃焼でしたが、いずれ紹介しました。
文字の歴史での鍋子伝説のお話!大町には二千軒の町家が?
驚くことに、1300年代のころのお話なのですが、当時現在の中山の大町という地域を中心に、大小
「二千軒」
ほどの町家があったと。
えらい繁盛していたのでしょうが、ほんとかな~~と。
こちらも「栗駒町史」からの抜粋の物語です。
鴬沢の「金剛寺」も由来します。
文字(もんじ)の歴史:愛宕神社から「愛の石」発掘
「愛宕神社」
の改修工事の際に境内から
「ハート上の石」
が発見。
ぜひご覧ください。
文字(もんじ)の歴史と文化を感じる
どこの地域でも、歴史はあるもの。
文字には「茂庭綱元公」の歴史があります。
この地は、隠居料で「1,000石」伊達家より拝領した領地なんですな~
お寺さんとも、かなりの関係が。
愛宕神社や、昔の写真で文字の歴史をかんじるな~~と。
ぜひ、文字の歴史に触れてみてください。