文字(もんじ)愛宕神社は、文字の地区民の「心」のよりどころ。
- ・場所のマップとアクセス情報。
・愛宕神社の歴史。
・文字愛宕神社を写真で紹介。
文字愛宕神社の場所をマップで紹介
「文字愛宕神社」
の場所は以下のマップで。
お寺さんの「洞泉院」のすぐ向かいになります。
文字郵便局からすぐ。
栗原市役所からの「アクセス情報」を紹介しました。
市役所からなら、20㎞ちょっとで、30分くらいです。
文字愛宕神社の歴史解説
歴史を調べてみたのですが、以下のリンクで詳しく解説されています。
それによると文字「愛宕神社」の歴史は以下。
人皇第12代景行天皇の皇子、日本武尊が東夷親征の際の創建と伝えられ大土ヶ森山頂に鎮座し「表刀神社」と称した。
(上記より引用)
「第12代景行天皇」
とは以下の説明です。
景行天皇(けいこうてんのう、垂仁天皇17年 – 景行天皇60年11月7日)は、日本の第12代天皇(在位:景行天皇元年7月11日 – 同60年11月7日)。『日本書紀』での名は大足彦忍代別天皇。日本武尊(ヤマトタケル)の父。考古学上、実在したとすれば4世紀前期から中期の大王と推定されるが、定かではない。
(wikipediaより)
とてもではないですが、雲をつかむような歴史の彼方のお話に感じます。
そして
愛宕神社の前にこんな碑がたっています。
これによると
慶長元年(1596年)大土森より「御神体」を「遷座」したとあります。
1596年というと、関ヶ原合戦の四年前。
以来、文字氏神として氏子の尊崇厚く現在至る。
と書かれていますが、確かに。
神社庁の説明にもこう書かれています。
山火の災禍をおそれ、慶長元年3月現在地に遷座、寛永5年中、本山派修験者木神坊雄峯が福寿山無量寺と満徳山の2ヶ寺(現在地御堂)を開院以来2ヶ寺の別当が神仏混淆により愛宕大権現と改称奉仕す。
(上記より引用)
愛宕神社に合祀された神社の社号額が掲げられています。
- この神社の看板は、それぞれに文字地内近隣に存在していた
「神社」
ですが、この5つの神社を
「愛宕神社」
に明治43年に①:保呂羽神社
②:八千代崎神社
③:小野松神社
④:八幡神社
を合祀。
翌年明治44年に
「駒形根神社」
の合わせて「5社」合祀されたとあります。
本「愛宕神社」は当初
「愛宕大権現」
と称していたとあります。
それが明治元年4月大政官達により神仏混淆が廃止となり、愛宕神社と改称しました。
我らの地の愛宕神社はとてつもない歴史を持つ
「神社」
なのです。
文字愛宕神社を写真で紹介
「文字愛宕神社」
を写真で紹介します。
神社の入り口。
このなが~~い~階段を上がっていきます。
途中の階段の景色。
上から見下ろした写真
登りきると、こんな風景です。
愛宕神社の全体の写真
こんな風景です。
この階段ですが、確か
「156段」
「158段」
どっちかのような気がします。(ヤマカン)
管理人が中学生の時に、部活動でこの階段を何往復という、トレーニングをやっていましたので。
今では、懐かしいですね。
ちなみに御朱印はこちら
このために神主さんに書いていただきました。
駐車場は向かいの山口自治会館
「愛宕神社」
の駐車場は、すぐ向かいの
「山口自治会館」
前の駐車場になります。
もちろんですが、この駐車場(写真が切れてますがこの数倍)がいっぱいになることは
- 1:各種イベント
2:元朝参り
3:その他重大な会合
など、特別な時。
見学は自由です。
しかし、マナーを守って参拝しましょう。
「二礼二拍手一拝」
で。